希望の果て
だらん、と体が揺れた。その光景は未だ鮮やかに映し出される。
食堂の机にトレーを置く。今しがた大鍋からよそわれたポトフとパンが二個。時間が経ってもその味が格別に美味いことには変わりなく、スープの温かさが静かに体へ染み渡っていくのを感じる。
時刻は夜の二時十二分。起床したのが一時四十三分。普段であれば十二時頃に寝床へ行きそのまま眠りに入るのだが、最近は寝つきが悪く早々に目が覚めてしまう。今日も例外ではなく、瞼を閉じることを諦めた俺は、気の紛らわしに夜食を取ることにした。この時間帯だとさすがに人気が少なく、食堂にもカルデアの職員が数名ほど散らばって座っているばかりだった。
施設には所々クリスマスの飾りつけが施されている。そう、もうすぐクリスマスがやって来るのだ。食堂の隅に置かれたツリーにもリースが巻かれている。しかし、どこか違和感を抱いた。
(そうか、星がないのか。)
てっぺんにあるはずの星はなく、どこか寂しく見える。最後につけようとして、忘れてしまったようだった。飾りつけをしていたのはナーサリー・ライムとジャック・ザ・リッパー、ジャンヌ・ダルク・オルタ・サンタ・リリィ、それを手伝っていたのはロビンフッド、マリー・アントワネット、それと……、候補が多すぎる。ともかく、片っ端から訊ねていけば星は見つかるだろう。
パンを食べようとした瞬間、眩暈がした。手からすべり落ちる。それは机を転がり、床へ転落する。頭の整理が追いつかず、しばらくの間ずっとそれを眺めていた。
目の前に影が落ちる。
「……大丈夫ですか?」
我に返る。シャルル=アンリ・サンソンが立っていた。訝しむように俺とパンに視線を向けている。
「あ、うん。大丈夫」
俺は慌ててパンを拾い上げる。三秒はすでに経ったが軽くはたけば問題ないだろう。伊達に耐毒スキルを持ち合わせていないのだ。ふたたびパンを皿に載せ、ポトフのスープを口にする。サンソンはというと俺の真向かいに座った。
不健康なほど青白い顔色であることは普段からであるが、今はいっそう、胸騒ぎがするほど白い——まるで地に降ろされた時のように——など馬鹿げた考えに至ったのは、単なる寝不足のせいだと思いたい。
「顔色が悪いですね」
ぎくりとした。まさか心の中を読み取ったのかと焦るが、考え直せばサンソンは俺の顔を見て言ったのだろう。
「そうか? 体調は全然大丈夫なんだけど」
「自覚がないだけかもしれません。メディカルチェックの必要があるかと」
「また明日になったら考えるよ」
我ながらしらじらしい声色だった。打ち消すように言葉を紡ぐ。
「サンソンにしてはずいぶんと遅くまで起きているな。何か用事でもあったのか?」
夜遅くまで飲みに明け暮れるサーヴァントもいるなかでサンソンは規則正しい生活をおくるほうだったので夜中に遭遇することは珍しい。
「いえ。取り立てて用もなかったのですが、寝つけずに散歩をしていました。このカルデアでこうして居られるのもあとわずかでしょうから」
サンソンの言う通り、二◯十七年十二月二十六日をもって俺は職務を終了し、カルデアに召喚されたサーヴァントも契約解除そして退去。のちに国連から査問団が到来。カルデアは新しい組織体制へと移り変わる。
とても喜ばしいことだ。特異点は全て消滅。人類の危機は去った。その役目を終えたものは元の場所へ戻る。俺も久しぶりに実家へ帰省する。大額の給料をどう扱ったものかという微笑ましい悩みを抱えているのだろう。ちょうど新年も近いことだし、バーゲンセールで大量に衣服を購入してもいいかもしれない。カルデアに来てからは機能が備わったマスター礼装ばかりで、普通の服を新調することはあまりなかった。
ふと、着ているカルデア魔術礼装を眺める。カルデアのマスターである証のこの礼装に袖を通すことももうない。カルデアでの業務も徐々に減ってきた。
「そうだな。終わりは近い。メインイベントのフィナーレとしてトナカイさんの役目を全うしよう」
「無茶は禁物ですよ」
「まかせて」
「信用できませんね」
「その言葉、そっくりそのまま返すよ」
「む」
ふとあのクリスマスツリーを見やる。視線に誘導されたサンソンも星の不在に気づいたようだ。
「星がないと違和感がありますね」
「象徴だもんな」
どうやらサンソンも星のありかを知らないらしい。ひとまずしらみつぶしに探していけばいい——しかし、なぜ食堂の隅に置いてあるようなツリー一本の星に拘っているのか、自分自身でもわからなかった。落としたばかりのパンを丁寧に咀嚼しながら思案していたが、だがしかし答えが出ることはなかった。 そのうちパンも平らげ、ポトフも喉に流し込む。
サンソンが少し眠たげにあくびをした。
「眠そうだな」
「ようやく眠気がやってきたようですね。しかし、マスターはまだ眠くはないのですか」
「そんなに。だけどそろそろ部屋に戻るかな」
腰を上げる。椅子を引く音がいやに響いた。
「そうですか。あの、もし気分がすぐれないようであれば……」
「単なる寝不足だから大丈夫。心配してくれてありがとうな」
サンソンは何か言いたげな表情を浮かべていたが、俺は見ないふりをして背中を向けた。
*****
星が見つからない。既に消え去ったのだ。
上空は闇に閉ざされ、希望のかけらもない。あるのは異端、不信、恐怖、腐敗。悪臭が鼻を衝く。妖気、食屍鬼、そういえばあの顔に見覚えがある、斜向かいには既に原型をとどめておらず長い舌がだらりと垂れたエルダーグール、カラスの鳴く声、けたたましい羽音、舞い散る黒い羽。
包丁が飛ぶ。頰をかすめ血が吹き出る。うろたえたその隙にエルダーグールが迫ってくる。目の焦点は合わない。しかしらんらんと輝いて綺麗だった。
とにかく逃げなければ。吐き気を堪え、屍の群れを掻い潜る。ぬかるんだ土の感触が気色悪く、打ち消すように、強く、強く、足を叩きつけた。
蔦か枝かまたは手か——何かが足に絡みつく。前のめりに倒れ、はねた泥が口内に入った。冷たく、ねばつきのある湿った泥。おぞましいほど不快な感触は吐き出しても舌に残る。頬の傷にも泥が付着し、微かな、しかし刺すような痛みがある。打ちつけた体は泥だらけで自分が一体何色の服装を着ていたのか判別できないほどに染まっていた。
見上げた先に、処刑台があった。そう、あの忌まわしき処刑台。板の軋む音がする。目を凝らせば階段を一段ずつゆっくりと登る影。黒衣の男。
「サンソン!」
叫び声もむなしく、反応することはなかった。男を出迎えにあがったのは、いつだって誰かに首を通されることを望んでいる、あの世に通じる穴。まるで正しいおこないのように、男は躊躇いもなくなめらかに縄に指をかける。
食屍鬼たちはいつの間にか姿を消した。いつものようにカラスもなりをひそめる。しかし立ち上がることは叶わなかった。声も体も何もかもが静止していた。ただ、土にうずくまり呆然と行く末を見守る。
首に縄がかかる。
とっくに知っている。既に全てが終わっていることを。これは残滓。どうあがいたとしてもとうの昔に終わりを告げている。通過点を過ぎた運命を変えることなど不可能だった。
処刑台を蹴る音を耳にするのは、何度目だろうか。
*****
ハッと目を開けると、ベッド側にある椅子にサンソンが座っていた。
「お目覚めになりましたか」
「もう時間か?」
時計に視線を移せば、四時四十五分を指していた。まだ時間はあるが、ふたたび寝る気にも到底なれない。サンソンから受け取ったタオルで汗を拭う。
「今日は休養されたほうがいいのでは」
「いや、大丈夫。ただ偶然に夢見が悪かっただけさ」
「……ここのところ、ひどくうなされていると聞いています。マシュも言っていました」
ここのところ、という言葉がひっかかるが気がつかないふりをする。
「マシュは心配性だから。でも大丈夫。昔からだし気にしないでくれ」
誤魔化したものの、悪夢をよく見ること自体は事実だった。夢というのは、過去の記憶の断片を気ままに切り貼りしたもので、荒唐無稽な映像なわけでもあり、出来上がったものが悪夢であることもある。
断片。あの七日間、演劇、金色のうさぎ、食屍鬼、ポリッジ、刑の執行、首に通す縄。そして二度と温かさを取り戻すことのない体。
あの光景が蘇る。振り子のように、ゆれる影。
「マスター、やはり体調が」
気づかぬうちに頭を抱えていたようだった。
「俺は大丈夫。大丈夫だから……」
まずは水分補給だ。机の上に置いた水を取るべくベッドから降りた瞬間、体がよろめき、再度ベッドへ体を預ける格好となってしまった。そんな様子を見たサンソンがため息をついた。
「急に動くと危ないですよ」
「うん。ごめん……」
「あなたには安息が必要です、マスター。今日一日はルームで休むように」
「な……」
反論の言葉さえ、その薄氷色は許さなかった。
「これはお願いです。ロビンたちも心配していましたから」
「ロビンが?」
昨日の夜、サンソンと別れた俺は星を探していた。とは言っても時間が時間なだけに夜遅くまで起きているメンバーにしかたずねられなかったのだが。
「作家部屋に入った時のあなたの顔が、ひどく青ざめていたとか」
たしかに、扉を開けたロビンの顔がぎょっとしていたのを覚えている。オタクまでシャルルの坊ちゃんみたいに辛気臭くならんでくださいよ、と苦笑されたが、しかしロビンも——普段よりも多く空けられていた酒瓶の数から察するに——、いや、これはただの憶測に過ぎない。
「……わかったよ」
よろしい、とその時ようやくサンソンは微笑み、俺から離れようとした。何かを取りに行こうとしたのだろう。しかし、向けられた背中が、消えてしまうのではないかとの錯覚を見せた。
「!」
無意識に、考える暇もなくサンソンの手を掴む。サンソンの目が見開く。
「お願いだから、離れないで」
その声は、隠しようもないほど震えている。
沈黙が耳に痛い。祈るように手を握る。顔を合わすことができず、下を向き続けた。
どれほど時間が経過したのかわからない。ながい静寂を打ち破ったのはサンソンだった。
「……やはり、セイレムでの出来事が尾を引いているようですね」
手を離すことはなく、かといって握り返すこともなく、ただなされるがままであった。どうふるまうべきか、考えあぐねているかのように。
「ずっと、後悔している」
「僕があの地で死んだことは、その僕が選び取ったことだ。セイレムの記憶はありませんが、この僕も同じ選択をしているでしょう」
セイレムからおおよそ二週間ほど経つ。しかし依然として、異端の地で迎えたこの男の死が未だなお心に巣食っていた。
自ら死を選ぶこと。刑の執行。死こそが男にとっての救いであり、希求であった贖罪の機会であったことも俺はその時理解できていなかった。ただ、死んでほしくなかった。消えてほしくなかった。しかし、もしあの時に男の選択を邪魔したらそれこそ取り返しがつかなかっただろう。ロビンの説得がなければ俺はさらなる間違いを重ねていたことになる。
そうであるのに、依然として夢であの日のことを見てしまうのはそこに至るまでの道に踏み入れてしまったことを苛み続けているからに違いなかった。
しかし、後悔していることはそれだけではなかった。
『首を刎ね、血に染まった手。そんなものに触れて何になると?』
昔に投げかけられた言葉が蘇る。手には血が付着した処刑剣。多くのことを諦めていた目。拒絶だった。
だから、俺も諦めたのだ。物分かりの良い、深入りはしないマスターとして適度な関係を構築するように、渦を巻く想いに気づかないようにふるまっていた。これ以上、拒絶されたくない——矮小で臆病な気持ちがそうさせた。
だというのに、本当にどうかしている。セイレムが、あの異端なる地が、すべてを狂わせる。未だに余波がなびいている。こんなはずではなかった。やめてくれ、と心の中の叫びをよそに俺の口は勝手に語り始める。
「セイレムのあなたが死んでしまったことで、俺はいままでのあやまちにようやく気がついたんだ。こうして手に触れるのを諦めていたことを。傷つくことを恐れるあまり、あなたの温もりを知ろうともしなかったことを」
「この手、ですか。……血に染まった手にあなたが思い描くようなものはない。だからこそこうして英霊として召喚されたのですから」
薄氷色の目が俯く。
「たとえ、そんなものがなくたって、ただ触れていたい。それだけで十分だろ」思わず語気が強まる。
なんとわがままな、と自分で笑いそうになる。新天地、しかも危機を迎えた組織の中、余計な波風を立てないために利口な姿勢を取り繕ってきたというのに、最後の最後でこの有様だ。
サンソンはぽかんとした様子だったが、やがてある言葉を呟いた。
「目が覚めたら忘れているような、些細な夢」
「え?」
「以前、あなたが言った言葉です」
その時、はじめて手を握り返された。驚いて顔を見ると、サンソンは穏やかに微笑んでいた。
「結局は忘れられずにこうして心に残っている。お互いに」
「どういうこと」
「じつは、あなたから告白を受けた時に同じ気持ちを抱いていることに気がつきました」
まさか、と声が上擦る。
「聞いていない」
「言っていないので当然でしょう」
平然と言ってのける。呆然するほかない。
「本当は人理修復後にお伝えしようと考えていました。ですが、その後にも新宿、アガルタ、そしてセイレムと亜種特異点などが発生したこともあり……」
途端に言い淀む。
「したこともあり?」
「有り体に言えば、時期を逸しました」
先ほどの余裕はどこへいったのか、ばつの悪そうな顔である。
「なんだよそれ」
「告白とはタイミングが肝要ですから。それに、あなたの気持ちも推し量る必要があった。あなたとしてはあの時点で区切りをつけていたのかもしれなかったから」
「今の今までそうだった」
「心変わりをしてくれて、僕はとても嬉しいですよ」
繋いでいる手とは別の手で頭を撫でられる。まるで子どもをあやしているかのような。
「タイミングを逃し続け、ついには退去日の通達がきました。完全な別れとなるのかもしれません。英霊は座に還る。セイレムの場合は記憶を受け継ぐ形で再召喚となりましたが、今回ばかりはどうなるのかはわかりません。あなたもカルデアからいなくなるとのことだから」
「いまさら、なんて愚かだよな。そもそも意味がない」
「さて。愚かというのは悪いことばかりではありません。こうして、ようやく想いを通じ合わせることができたことはとても幸せなことだ。ここまで来たからこそあり得た奇跡といえましょう」
頭上の手が今後は頬に触れた。その感触に思わず震えてしまう。
「こんな日がくるなんて、夢みたいだ」
「これは些細な夢ですか?」
「さあ、どうかな」
ペースに流されぬよう、意地を張ってはみるもののお見通しのようである。
「なら、あらためてあなたの気持ちをお聞かせください」
「わかっているくせに」
「その言葉を」
聞きたいのです、と薄氷色の目で見つめられてしまうともうどうしようもない。
「……ずっと、好きだった。諦めたつもりだったけれど、でも無理だった。こうして触れられることができて嬉しいよ」
(そういえば、手に触れたのははじめて召喚に応じてくれた時だけだった。)
カルデアに未曾有の出来事が発生したあの時のことは未だに忘れることができない。地獄を体現したかのような悪夢。その中で召喚したサンソンの手をすがるように握り、懇願した。マスターとしては程遠い姿だっただろう。しかしそんな俺に辟易することもなく、信じ、ずっと側で見守ってくれていた。
だからこそ、役目を果たす義務があった。
『俺は人類最後のマスターだ。ゆえに、回り道をしている余裕はない。これは、刃についた雨露をふりはらうようなものだ。……自分勝手なことばかりしている自覚はある。ごめんなさい、いつも。……目が覚めたら忘れているような、些細な夢だと思ってくれ』
その際の発言が頭によみがえる。ずっと抱いていた想いをついに払拭できた、と思っていた。結局それは思いあがりであり、露は払いきれずいつの間に錆として一体化していた。殊勝なことを言ったわりにはこのざまだ。
知らぬうちに笑っていたのだろう。サンソンが訝しむ。
「どうかされましたか?」
「いや、俺って本当に滑稽でわがままだなって」
「では僕のわがままもお許しを」
なにが、ではなんだと言う間もなく顔を引き寄せられ口づけをする。唇を当てるだけの柔らかい接吻だ。
「……乾燥していますね」
「気にしているんだよ」
「このかさつきも心地いいものですよ。しかし唇が切れてしまうとよくないので医務室で軟膏を探しておきましょう。おや、顔が赤いようで」
「誰のせいだと思っているんだ……」
気を害した俺はふたたびベッドに籠る。
「顔色が良くなったようで安心いたしました。その具合なら眠ることができそうだ。念のため、今日一日休みということで、僕から伝えておきます」
「……ありがとう」
毛布から出た頭を撫でられ続けるうちに眠気が到来した。温もりのあるまどろみが、多幸感が、そこにはあった。
「おやすみなさい。いとしき人。あなたの望む限り、僕はここにいますとも」
次に目が覚めた時は午後八時半頃。よほど深い眠りに入っていたとみられる。上半身を起こしてあたりを見渡せば、サンソンが横で医学書を読んでいる。起床に気がついたサンソンは書物を閉じ、顔をのぞき込んでくる。
「おはようございます」
「ひさしぶりに熟睡していたっぽい」
「やはり。フォウがあなたの顔面でタップダンスを繰り広げた時もすやすやと寝ておりましたから」
「知らない間に俺の顔はダンスフロアになっていたのかよ。というか止めてくれよ」
「冗談ですよ。心配そうに擦り寄っていましたが」
サンソンはほんのたまに冗談を言う時があるのだが概してわかりづらい。
「冗談なんだな……」
ため息をついた俺は自分の右手を見て驚愕する。サンソンと手を繋いだままだったのだ。驚きのあまり手を離す。
「もしかしてずっと手を」
「ええ」
「さっき、フォウくんの話が出たけれど」
「マシュがフォウを連れて来室を。ほかにも色々な方々が。この医学書もジキルが持ってきてくれたのです」
「……」
鏡を見ずとも、自身の顔が赤くなっていることがわかる。気配遮断スキルがあれば活用したいほどだった。
「ふふ。これは冗談ではありませんよ」
「それこそ冗談であってくれ。恥ずかしくてたまらない」
「そういえばマシュが写真を撮っていましたよ」
絶対消去を決意した俺は勢いよくベッドを抜け出す。
「すっかり回復してなによりです」
そうだ、とサンソンはコートのポケットをまさぐる。
「お探しものです」
出てきたのはツリーに飾る星だった。金メッキが所々剥げており、多少欠けている箇所もある。
「あの後、僕も探していたんです。結局は食堂の隅の方へ落ちていたのですが。よろしければ、一緒に飾りに行きませんか?」
食堂はいつもより静まっていた。人気も少ない。嵐の前の静けさ、という言葉にもあるように、クリスマスイベントに備えているのかもしれない。
サンソンとともに先っぽがはだかのツリーに星を通す。お互いの手を重ねて、儀式のように。
ツリーは完成した。
「この先、どれほど苦難が襲いかかろうとも希望はあるでしょう。そのかたちは判然とはしないのでしょうが、しかし存在はする」
ゆっくりと言葉を紡ぐ。薄氷色は静かに瞬いた。
「なぜ、そう思う?」
「世界も救われたからですよ。あなたに」
星を見る。おそらくは誰かに蹴られたり、床に擦れたりしたのだろう。だが星としての輝きは色褪せないままだった。傷ついてもなお、煌めいていた。
セイレムでサンソンは死んだ。カルデアにいるサンソンもじきに座に還る。培ってきた関係性は消えていくのかもしれない。それでもなお、俺は幸せを感じていた。
クリスマスは近い。いま、隣にいるサンソンにも、セイレムの地で眠りについたサンソンにも、星が降ればいい。異端の地は消え去ったが、願わずにはいられなかった。
もう、あの夢を見ることはなかった。