第2章 輪郭
いつもよりも高い天井の室内で目が覚める。
手のひらに滑るシーツの質感は柔らかい。白と黒を基調とした家具はいずれも光沢を纏っている。
喧騒から程遠い。現に、サイドチェストに置かれたメモ書きが家主たちの不在を証明していた。文字の羅列を読み取り、その通りに従って客室からリビングへと移ると用意された軽食が目に飛び込む。
テーブルに置かれたパンの傍に、水差しとガラスのコップ。ガラスへ、口へ、体内へと流し込んだ水の動きと共に意識が徐々に覚醒していく。ジェイドはようやく回り始めた頭でこの数時間で起きた奇妙な出来事について回想し始める。
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まず、住処である自治寮の談話室でボヤが発生。
寮生たちが釣った魚を焼いていたが、何事も慣れないことは気をつけたほうがいいもので、何らかの拍子で衣服に引火。焦って脱いで床に落としたために荷物に飛び火。ただでさえ寮生の私物で溢れかえっているというのに、その時は別の学生寮から廃棄された家具を持ち込んでいたのがよくなかった。炎はその勢いを強め、近くの寮室へと歩みを広げる。ようやくスプリンクラーが稼働した頃にはすでに爪痕が自治寮に深く刻まれていた。
不運なことにジェイドの部屋は例の談話室から近く、寮へ戻った時には燃え焦げた備え付けの家具と魚臭い水浸しの部屋がジェイドを待ち受けていたのだった。
そもそもなぜ寮生たちが釣りという行為に手を染めたのか。それは亡国の建国王を名乗る男が大いに関わっていた。
建国奇譚と称し、旅の剣士一行との旅路を語るのが自治寮談話室での日常であったが(突飛も突飛なので、ごくわずかな人間を除いて鵜呑みにする者はいなかった)、話の中に釣りが出たのがいけなかった。釣った魚を現地の風土に合わせて料理した時の情景を聞いた寮生たちは魚、いや釣りの虜になってしまった。家賃が昼飯三回分に相当するだけあって節約意識の高い人間が揃っており、ほぼノーコストで食料を調達できて胃袋を満足させられる釣りというものに憧れを抱かない方がおかしかった。その様子を見て、これも王たる振る舞いの一つだと白制服の懐から取り出した綺麗な袋に詰められた釣り餌である釣りダンゴとコミミズを傷だらけの机に置き、建国王もといクロードは優雅に談話室を後にする。
すぐさま寮生たちはベイパー・トレイルへ詰めかけ、釣竿を無心に振り続ける。初めてにしてはなかなか大漁、さっそく戦利品を倉庫にあったグリルの上に並べていく。なかでも青銀の鱗が艶めかしいソラアジは垂涎ものであった。魚油が滴り皮が燻されていくはさながらヒーリングビデオと後に寮生たちは語るが、その後の悲惨さはジェイドの眉間に刻まれた皺が物語っていた。
ただでさえ帰寮が深夜に回り、疲れ果てているジェイドにはむごい仕打ちであった。
とは言っても夜遊びに興じていたわけでもない。アルドたちと共に古代コリンダの原で精霊の結晶集めを手伝っていたのだ。
いつも良質な結晶を採ってくれるから助かるよと言う職人に、お互い様だよと快活に笑うアルドのお人好しさは相変わらずであったが、今思えば時代を越えて依頼の手伝いをしている自分も大概ではないかとジェイドは苦々しく思う。
完全に巻き込まれ損だった。一晩はどうにでもなるにせよ、あの惨状であればすぐの復旧は難しい。一瞬にして宿無しだ。
通常では他寮での居住措置が取られるが不幸は重なるもので、現時点で空いている寮室は無いとの説明だった。
代わりにエルジオンのガンマ区画のホテルにかけ合い、部屋の提供措置は行うが、いくらかの宿泊費用は負担してもらうとのことだった。嘘だろ、と思ったが学生が運営管理を担う自治寮に対する姿勢として学園側の方針は崩せないとのことであり、ジェイドは項垂れた。ホテル暮らしはいち学生の懐に厳しい。費用を抑えるために自治寮に住んでいるのだからこの提案には乗ろうにも乗れなかった。
騒動の張本人らからは一時的に難を逃れた部屋を貸そうとの打診があったが、ただでさえ自治寮は狭い空間であり、一部屋に青年男性二人が寝泊まりするとなると多大なストレス負荷が発生するのは目に見えていた。苛立ちで何をしでかすかわからんとのジェイドの断りに、冗談に聞こえなかった寮生らは狼に食べられる前の羊のごとく、怯えに怯え切ってしまう。とはいえ、ガンマ区画に出て野宿をしたところでEGPDに職務質問されるのが目に見えている。
どうしたものかと悩むジェイドの頭の中に一瞬よぎったのは、妹のサキである。
別の寮に住んでいる彼女の部屋に一時的にと考えたところでやめにした。いくら兄妹といえども、年頃の女性の住まいに転がり込むのは気が引ける。
次の候補は次元戦艦だった。
空室がいくらかあったはずなので、臨時で借りようと思ったのだ。しかし、ジェイドを下ろしてから別の時代へ移動したらしく、いくら目を凝らしてもエルジオンの空に次元戦艦の姿は見えない。
頭を痛めたジェイドの端末が突如鳴り、発信先を見ればセティーの名前がある。風の噂で事情を知ったセティーから家に来ないかとの申し出だった。
セティーとは特別親しい仲ではないが、信頼している仲間の一人である。
あの司法組織COAの捜査官がアルドの仲間になると聞いた時は何か裏があるのではと警戒していたが、相棒のレトロとクロックと共に出陣する姿を目にするうちにジェイドの中の疑心も解けていった。
しかし、信頼と同時に、ジェイドはここ最近のセティーの言動を不可解に感じてもいた。
この前はいきなりうどんを食べに行こうとわざわざイージア大陸にまで渡った。結局は捜査の一環であったのだが、なぜ旅路以外でも接してくるのかその意図は不明なままだった。
端末に映る連絡先にしても、今度はイザナの国で食べ直そうと冗談だか本気だかわからない言葉と共に綺麗な文字で綴られた番号のメモを渡されたのがきっかけだった。
必要ないと突き返そうとするも、サキの姿が脳裏に浮かぶ。妹に自身の交友関係の少なさを心配されているのは不甲斐ない話であり、大事な妹を安心させられるのであれば、とジェイドは渋々自分の端末に番号を打ち込んだ。
話は戻る。
相変わらず提案の意図は掴めなかったが、助かることは助かるので渡りに船、十分後にはセティーの住まいがあるマンションに辿り着いていた。予想通りの高層建築で、たった今まで居た自治寮とは次元がかけ離れているとジェイドははやくも郷愁の気持ちに駆られる。しかし慣れ親しんだ住処はもはや焼き魚の侵攻で一時的に失われてしまったためどうしようもない。
セティーに到着の連絡を入れた瞬間、何やら上空から音が聞こえる。ともに、声もする。やけに陽気である。何だと見上げた先に映るのは猛スピードで落下する白い球体。
「やっほー! 元気〜!?」
一瞬、レトロボンバーを喰らわされるのかと思いジェイドは頭が真っ白になった。ジェイドの胸中など知ることもなく、セティーの相棒レトロは上機嫌にアームを回す。犬の尻尾のごとくぶんぶん回転するものだからいつか外れるんじゃないだろうかと心配になる。ようやく止まったかと思えばそのアームで上着を掴まれ、こっちだよと引っ張られる形でマンションへ入った。
「急に人を泊めることになったとか言うもんだからびっくりしたよ〜。まさかジェイドだったとは思わなかったなー」
「俺もそう思う」
「最近仲良しだもんねっ」
「そう見えるのはお前だけだ」
無人のエレベーターに乗り込む。液晶パネルに表示される数字がどんどん加算されていく。目的の階に辿り着いた二人はエレベーターから吐き出された。
「でも今度イザナに行くんでしょ? セティーったらこの間からずーっとプラン作成に励んでいるもん」
「……冗談じゃなかったのか」
「くだらないジョークは主義ではないからな」
部屋の前までたどり着き、インターフォンを鳴らそうとすると後ろから声がする。
家主ともう一人の相棒クロックが壁に寄りかかっていた。固まるジェイドをよそに、セティーは自室のロックを解除して中へ入る。棒立ちのままのジェイドをレトロがせっつく。
最低限の物で統治されたリビングに通される。家具は各々適切な位置に定められており、備え付けをそのまま使用しているとのことだった。丁寧に扱うためか、あるいは使用頻度が低いせいなのか、家具はほぼ新品の面構えをしている。
「……すまない。これから何日か邪魔になる」
「仕事の都合上、帰らないことも多くてな。いくぶん殺風景だと思うが自分の家だと思ってくつろいでくれ。クロック、室内の案内を頼む」
「承知しました。ジェイド、ついてきてください」
「ボクも行く〜」
「ポンコツの登場は必要ありません。蛇足ばかりで長くなります」
「ひどいーーっ!!」
レトロが勢いよく上下に飛び跳ねた。抗議に気にも止めずにクロックはジェイドを引き連れ、その後ろを慌ててレトロが追う。
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眠りと現実の境目に近づき、水面に引き上げられる。意識の覚醒。
目覚めとともに端末も立ち上がり、現れたパネルウィンドウで今が午前未明であることを知る。たしかにブラインド越しの外はまだ薄暗く、日が昇るにはまだ時間がかかるだろう。床に整列したスリッパに足を通す。しかしまだ起床の時間ではない。現にレトロとクロックはスリープモードのままだ。
ベッド下のスリッパに足を通し、自室を出る。玄関近くにある客室の扉が数センチ開いていたのを目にする。
最低限の家具、たとえば貴重品を仕舞うサイドチェスト、あるいはインテリア雑貨と化した照明、もしくは綺麗に整えられていたまま置かれているセミダブルベッド。永らく無人の城であったが、今はそうではない。一時の主である来訪者は毛布に包まり、胎児のように眠っている。布の隙間から白髪が覗く。
ジェイドが寝返りを打ち、顔がこちらに向く。眉間に深く皺が刻まれ、肌には汗が滲んでいる。ぎりぎりと歯は鳴り、唇の隙間から苦しげな呻き声が漏れている。
一時的にとはいえ同居という突飛な提案をしたのは、監視の必要性があると考えたためであった。
魔導書実験の被験者が生存している。
最初聞いた時は自分の耳を疑った。魔導書が保有する膨大な魔力を人間の身に宿すなど普通は一笑に付すところである。しかし実際にとある宗教組織によって実験は行われており、犠牲者も数々出ているとの報告も数件上がっていることから、可能性の話として生存者の存在も捨てきれないというのがCOAの見解だった。セティー自身もあくまで数パーセントの話だと捉えていたため、司政官の口から出た言葉に思わずまさかと返してしまうほどだった。
「市民の他愛ない作り話か、はたまた狂信者の戯言であればよかったのだが、あいにくそうもいかないようだ」
「被験者の特定は出来ているのですか?」
「天上の学府……IDAの学生だと調べはついている」
浮き上がるパネルウィンドウに一人の少女が映る。黒髪を耳下で切り揃えた、ごく普通の女学生であった。
「彼女の父親は有能な科学者だったが、とある日を境に行方不明となっている。母親は数年前に病死とされている」
「……父親が家族に対して実験を行なっていたと?」
「その可能性が高い。元同僚たちに聞き込みを行ったところ、父親が不審な業者から魔導書を購入していたとの情報があった。誰も彼も、父親以外は本気にはしていなかったがね」
「被験者がIDAの学生となれば、いくらCOAであっても公には接触し辛いですね」
「最悪の事態が発生した時は介入せざるを得ないが、今の時点では難しいだろう」
そしてだ、と司政官はもう一つパネルウィンドウをポップアップする。今度は白髪の青年が映っていた。名字が少女と同じである。
「兄妹、ですか……」
兄妹にしては髪色、そして眼の色が異なっている。しかし、二枚目の幼少期の画像は共に黒髪で、眼の青さも一緒だった。
今の技術を用いれば好みに合わせて変えることなど容易い。セティーは胸にこみ上げる絶望を揉み消すように楽観的な考えをあえて思い描いたが、白と黒の対比がそれを許さなかった。
この世界には冒涜が染みついている。
誰しもが持つ権利をまるで当たり前のように剥奪し、踏み潰していく。祈りを求めて何かを掴もうとした手を捻り、掴んだ頭部を硬い床に叩きつける。対象を道具もしくは玩具として弄び、飽きたら街の片隅に廃棄する。
地上を離れ、浮遊プレートへ身を移した現代は昔の人間からするとついに恋に焦がれた天上の楽園へ辿り着くことが出来たのだと捉えるだろう。しかしそんな天国でさえ、未だなお人間は残虐であり続ける。拭えぬ暴力が放つ腐臭をセティーは嗅ぎ取った。
「我々が大きく動けるのは彼らの卒業後だが、在学中も完全とは言えないまでも監視は可能だ」
「基本的には自治組織IDEAの能力に任せ、キャパオーバーした時点で介入するということですね」
「ああ。幸いなことに現会長のイスカをはじめ、IDEAのメンバーは優秀だと聞いている。懸念すべきは内包した魔導書の力がいかほどのものか、という点だ……」
司政官の表情が曇る。
「承知しました。では、兄妹二人の監視を水面下で進めてまいります」
一礼をし、後ろに待機していたレトロとクロックを引き連れて司政官室を後にする。
「映画みたいにすごい話だったね〜」
「デザイナーベビーの件もある。あり得ない話ではないんだろう」
そう、あり得ない話ではないのだとセティーの呼吸は浅くなる。フィクションであればどれほど良いか。本件に限ったことではない。捜査現場に赴く度に淡い期待は裏切られ続けている。
「セティー、バイタルサインが乱れています」
クロックの声で我に返る。無意識に呼吸が浅くなっていたようだった。
「あっ! ち、血が出てるよっ!」
床を見れば、無機質な白の床に点々と血が散っている。そしてセティーは自分が手を強く握り締めていたことにようやく気がついた。むき出しの手のひらは、爪によって皮膚が抉られている。
湧き出す血が先ほどの青年の眼の色と重なる。あれは抗い続ける眼だ、とセティーはその時悟った。そしてふたたび手を握り締め、痛みを体に刻む。
接触はせず、自身の存在を察知されない程度の距離で兄妹を監視を続けていたセティーだが、数奇な星の運命によって作戦の変更を余儀無くされる。
突如、頭上から鐘が鳴り、現れたまばゆく光る金色の扉を開けるとこれまた見慣れぬ風景、そして人影。これからよろしくな、と人懐っこい笑顔で出迎えた黒髪の青年に連れ込まれた喫茶店には多種多様な先客で賑わっていた。
そして店の隅に座る白髪の姿に、思わず息が止まる。視線を感じたのか振り向いたその男の眼は、あの時に流した血の色をしていた。
仲間という関係性を活用しない手はない。
しかし、急に距離を詰めると不審がられるのは目に見えている。そのため当初はいち仲間として、たまに一緒のパーティーとなった時に協力し合う関係を維持した。
そして本当に実験の被験者であるかどうかの裏取り。
集団の中心人物であるアルドなら何か知っているだろうとそれとなくカマをかけたところ、クロであった。兄妹は二人とも被験者であり、妹のサキのみ実験が成功。そのサキの魔力は暴走したが、IDEAとアルド、そして兄のジェイドによって解決。ひとまずは平穏な学生生活を送っている。
これだけ情報が得られれば御の字だ。今後も引き続きゆるやかな監視を保ち、あくまでも仲間という間柄で兄妹と接していこうとセティーは計画した。はずだった。
それがどうして、自分の家にまで招くなどとらしくもない真似をしたか。
時は半年ほど前まで遡る。正しくは、800年前と言うべきかもしれない。AD300年の港町リンデに降り立った日のことを思い返す。
呪いの戦斧に取り憑かれ、暴れる魔獣に引き寄せられた魔物の群衆。
向けた戦斧の切っ先に合わせて襲いかかる魔物の身を貫き、そして切り裂く。体液が噴き出る。血が武器に伝う。血痕が地面に染み込む。間を掻い潜り、魔獣の手から戦斧をはたき落とす。カランと戦斧にしてはひどく軽い音が鳴る。すると満足したのか、呪いの魂が戦斧から離れ、そして安らかに消える。
正気を取り戻し去っていく魔獣を見届け、戦斧を回収する。多少欠けてはいるが特に問題はない。武具に精通しているノマルからもお墨付きをもらい、今回の目的は遂げられた。
次元戦艦に戻り、各々の時代に戻るまで休憩室で待機する。離れたところにジェイドはいた。腰から下げている縞模様の布を抜き取り、血や体液で汚れた槍を拭う。
白と黒の境目が曖昧になっていく。汚れで布が染まっていく。凝固した血液が布の繊維に引っ掛かり、びりりと音を立てて破けていく。彼の癖である舌打ちが響く。
ジェイドの動きが止まった。
血の気が徐々に失われていく。何かの抗いか、切れ目の入った布を固く握り締める。
眼がかち合った。赤色だけが冴え渡る。虹彩は炎のように揺れ動き、やがて消える。ジェイドが視線を逸らしたのだ。
交錯の間、何かを掴む予感をしたセティーは置いてけぼりを食い、しかし諦めきれずに正体を掴もうと思考を巡らせる。
その時、クロックから捜査に関する新情報が送られる。そして未だ掴めぬ何かの正体を暴くため、ジェイドに近づいていく。
左の目蓋は固く閉じられたまま、ジェイドは魘され続けていた。セティーは静かに腰を下ろす。微かにベッドが軋む。
そっと前髪を掻き分ける。汗でしっとりとした白髪が離れた先に、もう一つの眼があった。同じように目蓋で覆われ、赤色の虹彩は違う世界を見ている。
額の汗を指の背で拭う。汗が皮膚に染み込む。指で白髪を梳く。途中で髪が絡まり、行き止まりになる。そっと指を抜き、頭を撫でれば生温かい体温が掌に伝わる。
しばらくずっとそうしていただろうか。気がつくと呻き声は消え、代わりに穏やかな寝息が聞こえる。セティーは起こさないように立ち上がり、サイドチェストの引き出しからペンと一枚の紙を取り出した。
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汗をひどくかいた気もするが、普段よりは目覚めが良い。もう一度水を飲み、ジェイドはあらためてメモ書きを眺める。
『朝食はリビングに用意してある。足りないようであればデリバリーを。
突然だが、今日から数日間不在することとなった。家のものは自由に使ってくれて構わない』
相変わらず几帳面な字だった。ジェイドはメモ書きをポケットに突っ込む。
一晩過ぎてもセティーの真意は不明なままだった。しかし何かしらの目的は必ずあるとジェイドは踏んだ。
ソファに座り、息を吐く。閉じた目蓋の裏に浮かんだのはあの深海だった。最初に拒絶があった。違う、混同している。あれは対象を探る眼だった。いやに湿った感触の台に寝かされ、検体として扱われる。あったはずの関係性は頁に刻まれた文字とともに消え去った。
ジェイドは頭を振る。
それではない。ずっと前に失われたものだ。温かで、居心地の良い親愛。
形を成し始めた輪郭を触れようと手を伸ばすが、それよりも先に眠りの幕がふたたびジェイドに下りる。微かに結ばれた像が微笑んでいるのを薄れつつある意識の中で感じた。