第3章 冥漠

 数ヶ月前には存在していなかった関係性が今や日常に溶け込むほど親交が深まりつつあったことはジェイドはもちろん、セティーにとっても予想していた以上の成果であった。
 たとえば端末に定期的に現れる名前、業務中の眠気予防にふと選んだコーヒーの銘柄、ドームを染める黄金色によって連想する涼しげな表情といった一つ一つの要素が二人の間にあるつながりを構築するピースとして埋め込まれていく。
 
 リビングルームに置かれたソファに男が二人、中央を空けてそれぞれ両端に座っている。休憩時に仮眠を取れるように、と寝そべっても充分なほどのサイズを選んだためか、大の男が二人座っていてもまだ余裕があり、しかし据わりが悪いのかセティーはしきりに脚を組み替える。
 蒼色の瞳に映るのは捜査情報——ではなく、巷で話題となっている枕の通販サイトである。なんでも、この枕に頭を置いて横になるとたちまち眠りへ誘われるそうで、口コミが広がり今や街頭コマーシャルで見ない日はないほどの売り上げを叩き上げているほどである。セティー自身はあまり信じていなかったが、値もさほど張らないし試してもよいかと購入画面へ進もうとしたところで、あと数日で完了する自治寮の改修に伴い、この奇妙な同居生活が終わりに近づいていることに気がついた。
 ジェイドはというと、何やら手元の端末に視線を注いでいる。寄せられた眉間の皺からすると大方スクールの課題だろう。緩慢な指の動きから相手はなかなか手強いようで、時折吐くため息がその証拠である。
「この家も寂しくなるな」
 ふと漏らした言葉は本心だった。そして意外でもあった。他人に感情を向けることのあまりない己が、今生の別れとまではいかないものの離れることを惜しむ気持ちを抱いていることに。
「気遣いはいらん」
 言葉をかけられたジェイドは訝しげに視線を返すが課題に注視していた時より眉間は和らいでいた。
「本心だよ」
 こぼれ出た感情の在り処をたしかめるようにふたたび言葉でなぞる。しかし正体は靄の向こうへと姿を消し、先ほどの感情は何だったのだろうかとセティーはひとり分析し始めるが、陽気な声で妨げられる。 
「ボクもさみしいな〜。もうこの家に住んじゃおうよ!」
 二人の周りを旋回していたレトロがその白色の機体を下に向けている。
「ポンコツの会話相手が減るとこちらの負担も増えますしね」
 対してクロックは水平に浮遊しているかに見えたが、微かに機体の角度が下がっているように見えた。
「またまたそんなつれないコト言う〜。素直じゃないんだから」
「静かにしなさい、ポンコツ」
 クロックから発せられた不穏な光に怯え、後ろに隠れるたレトロのつるりとした表面を撫でれば振動が手のひらに伝わる。
「賑やかさならお前ら三人で既に十分だろう。そもそも、ほぼ留守番に近かったが」
 その言葉のとおり、家主であるセティーたちは連日連夜の業務にかかりきりで帰宅することはあまりなく、ジェイドはほぼ貸し切り部屋として日常を過ごしていた。
 たしかにな、とセティーは顎に手を当てる。
「ここでの生活、ジェイドは不満だったか?」 
 返答に詰まる様子に、この家に馴染みきっていたのだろうとセティーは推測する。 
 試しに、このままずっと居ても別に構わないと言うも、結局ジェイドは首を横に振った。会話はそこで収束したが、セティーの胸はざわついた。同居を続けていたら何か掴めるのだろうかと逡巡するも、もう終わったことであった。

 じゃあボクたちは先に休むね〜、とレトロとクロックは専用の部屋へ吸い込まれていった。リビングに取り残された二人は言葉を交わすこともなくただ空間を共有する。
 途端に物静かになった。沈黙は二人の間にとってそう珍しいことではない。しかしこの時はなぜだかセティーの中で引っ掛かるものがあった。
 紛らわすためにセティーはテレビを点ける。適当に回したチャンネルから賑やかな嬌声が聞こえる。派手な装飾が施されたスタジオで見慣れた男女複数人が割り当てられた席に座っている。司会者の男性が大仰な身振りで問いを投げかける。
『第五問。ベイパー・トレイルで釣れる魚はなんでしょう。餌はコミミズ』
「シルバーエンゼル。そしてソラアジ」
 吐き捨てるようにジェイドは答える。即答だった。
「ずいぶんと詳しい」
「俺の部屋が被害に遭った原因だ」
「それは難儀なことだった」
 笑顔ながらも周りの空気を伺う眼をしたタレントの回答で会場が沸く。ジェイドが腕組みをしながら険しい表情で番組を観ているのは、興味があるのではなくおよそ眠気に抗っているためだとセティーは知っていた。与えるべきは好みの豆を挽いたコーヒーではなく、触り心地の柔らかなブランケットだとセティーはソファから立ち上がる。反動で、端に座っていたジェイドの体が揺れるも相変わらず目線はスタジオに貼りついたままだった。
「俺に合わせようとしなくてもいい」
 舟を漕ぎ始めた頭の上からブランケットをかける。客室用のベッドまで寝かすのが一番だが、華奢な姫君でもあるまいし現実的とはいえなかった。代わりにソファを譲り、セティーは側にある椅子へ座り直す。
 そんなことはない、と幾分眠気のこもった反論が聞こえるまで少し間があった。ブランケットの内側から筋肉質な腕が現れ、次に顔が出てくる。
「ほら、ほぼ寝ていたじゃないか」
「元々そういう顔だ」
 しかし赤色の虹彩が瞼の裏に閉じこめられている。
 ほぼ居候に近い生活のためか、ジェイドの中から遠慮の気持ちが抜け切れずにいた。今のように、たまに帰ってきたセティーが持ち帰りの仕事を済ませるまでいくら眠気に襲われようとも起きていようと励んでいた。いいから寝ろといくら言ってもこの調子なので、印象通りの頑固さだとセティーはひとり感心したほどだった。とはいえ感心しているだけでは何も解決しないので、リビングに備え付けたスピーカーに睡眠導入に効果がある音楽を流させる。数分も立たないうちに寝息が聞こえたのを確認し、ジェイドの上体を横に寝かせてブランケットをかけ直す。
 眼の下にある隈が日に日にその濃さを強めている。満足に眠れていないのは明白で、セティーの予想通りに歯軋りの音が聞こえ始めた。
 
 同居初日にジェイドの睡眠に問題があることを把握してから、セティーは密かに対策を打ってきた。というのも、一人で物事を抱え込む性質のジェイドに直接心配の声をかけたとしても受け取らないだろうとの予測からで、しかし自分の出来ることは可能な限り試してみようとの姿勢によるものだった。それとなく置いたルームフレグランス、そして今流している音楽。結局どれもこれも空振りで、毎夜毎夜ジェイドは悪夢に魘され続けている。
 おそらく内側からアプローチしなければ意味がないのだ、とセティーは悟り始めていた。心の中にある何かを、ジェイド自身が向き合わなければ解決しない。そしてそこに導くのは己ではないことも、既に。
 ため息ひとつ吐き、照明を落とした空間で瞬くパネルを見つめた。  

 ******
 
 あの子の調子はどう? と何気ない会話の中で突如現れた影に素知らぬ顔でセティーはブラックコーヒーに口をつける。  
 
 セティーとレンリの二人が雑談をする仲となったのは意外にもごく最近のことである。
 所属する課が異なることもさることながら、花形である課で躍進するセティーと、対して泥臭く地面に這いつくばって事件を追うレンリの間には大きな差があり、くわえて落ち着いた態度を崩すことのないセティーに不信と劣等の感情を少なからず抱いていたレンリが積極的に交流を持とうとしなかったことも一因としてある。しかし、高い捜査能力を持ちながら実力に合わない事件ばかり任されているレンリを心配したセティーから助言や手助けされることはままあり、以前から二人の関係は特別悪いということはなくむしろ逆であった。
 そこから今の交友関係へ発展したのは、時空の旅人、アルドとの出会いが転機であった。
 響く鐘の音に導かれ、レンリは突如現れた金色の扉を開くとそこは今まで親しんできた世界とは異なる光景が広がっていた。突然のことに対処しきれないレンリが酒場の椅子に座り込むと、ぬっと突然現れた人影に言葉をかけられる。
「まさかきみもここに来るとはな」
 聞き慣れた声に顔を上げると、そこにはセティーが立っていた。お馴染みのレトロとクロックも付き添っている。
「ど、どうしてあんたが……」
「これはこっちの台詞だ。また後で詳細を説明するから、今はそれを飲んで落ち着いたらどうだ」  
 渡された飲み物には輪切りにスライスされたレモンがグラスの縁に飾られている。セティーの言う通り平静に保つことが先決ね、と飲めば舌に紅茶の香りが広がった。
  
 次元の狭間での邂逅以降、アルドとの旅路で共同戦線を張るうちにレンリの中にあるセティーに対する誤解も氷解していった。情が見えないゆえに冷血と評する声も少なくないセティーだったが、その実誰よりも情深く、かつ熱き魂の持ち主であることを数奇な冒険を通して知ってからは、業務内でも交友を交わすようになった。
 現に今も、立ち寄った先の休憩室で普段通りにカウンターテーブルに背中を預け、入り口付近で何やら口喧嘩をしている相棒たちを眺めながら同期の話を聞いていた。
「何のことだ」
「わかっている癖にはぐらかすのね」
 すげない返答に対して、レンリは反感より呆れの色の濃いため息を吐く。座った椅子がギイと音を立てる。    
「ジェイドのことよ。最近顔色が悪いでしょう、彼」
「だとしてもなぜ俺に聞く?」 
「この前IDAの子たちと一緒にお茶した時にね、ジェイドがなぜだかあなたの家に身を寄せているってサキから聞いたのよ」
「焼き魚の侵略に遭ったんだ」
「え?」
「何でもない」
 ふたたびセティーはブラックを飲み、それきり黙ってしまう。降りた沈黙を持て余したレンリは小さな手の中に収まるホワイトチョコレートフラペチーノに視線を移す。それはこのオフィスを降りた先にあるカフェの期間限定商品であり、舌を焦がす熱さとともにやって来るまろやかな甘さをゆっくり楽しむのがレンリは好みであることをセティーは知っていた。しかし、まだ半分も残るそれを一気に煽ったのは予想外だった。案の定勢いよくむせ始める。
「何をやっているんだ、きみは……。舌も火傷したんじゃないのか」
 さすがのセティーも困惑の表情を見せる。レトロとクロックも喧嘩を中断し、レンリの元へ近づく。 
「氷水を用意しました。口に含んで舌を冷やしてください」
「あ、ありがとう」 
「レンリもおっちょこちょいさんだね〜」
「う……」
 クロックから用意された氷水を受け取り、指示通り舌を冷やす。しばらくして飲み込み、そして言葉を紡ぐ。
「……あなたって不必要に他人を自分のテリトリーに入れるタイプではないと思っていたから驚いたわ。何か目的があるんだと思うけれど」
 アイスブルーの眼が鋭く光ったのは、熱さで滲み出た涙だけが理由ではなかった。
「偶然が重なって一時的に同居しているだけだ。……じきに元に戻る」
 ふうん、とレンリは瞬きをした。 
「セティーはパンケーキを食べたことってある?」
「それはあるが……。これから食べに行くつもりなのか?」
「ち、ちがうわよ。ほら、パンケーキって出来立てはふんわりしているけど、冷めたら萎んでしまうじゃない。私が言いたいのは、一度変化した以上は変化する前と完璧に同じ状態には戻れないということよ」
「言いたいことはわかるが、人間の間柄とパンケーキはまた話が違うだろう」
 レンリは持っていたコップを軽く潰し、出来た窪みをそっと撫でる。
「でも、もう元には戻れないと思うわ。だってほら、前に話していたフレグランスはどうだった?」
「……」
 何度目かの沈黙だったが、しかし今度はレンリの顔に笑みが広がる。
「わかったわ。また良さそうなのがあったら教えてあげる」
「何も言っていないぞ」
「あらそう? あんたにしては珍しく、顔に出ているわよ。私に手伝えることがあれば何でも言って。力になるわ」
 セティーは思わず手で顔を押さえたのを横目に、レンリは椅子から降りる。コップをダストボックスに捨てると物同士が重なり合う音が響く。そのままレンリは出口へ足を向けるがごめんなさい、と振り返った。
「顔に出ていると言ったのはウソよ」 
 どこか嬉しそうな様子でレンリは言い、白のコートを翻して去っていく。一部始終を見ていたレトロとクロックがセティーを励ます。
「バレのバレバレだったね」
「本人はまだ気がついていないので恥ずかしがらなくて大丈夫ですよ」
「恥ずかしがってなんかいない」
 セティーは寄せた眉間を押さえ、目蓋を瞑る。
 
 ******
 
「別に祝われるほどのことではないと思うが」
 蒸発した肉汁のスモーク越しにジェイドがいかにも解せない、といった表情で目の前のステーキを眺めていた。
 復寮祝い、と称して訪れたのはエルジオンの酒場だった。定番メニューであるステーキを頼み、四人は卓を囲む。ステーキの焼ける香ばしい匂いにレトロは美味しそうだと上機嫌にアームを回す。
「ここのところ仕事が忙しくてまともな食事をしていなくてね。ひさしぶりに栄養の付くものが食べたかったんだ。付き合ってくれ」
 いまいち釈然としない様子のジェイドを意に介することなく、セティーはステーキにナイフを入れる。ミディアムに焼かれた肉の断面から新たな肉汁が溢れ出す。フォークを突き刺し、口に運べばたちまち旨味が広がり、さすがあのクレルヴォもおすすめするだけあるとセティーは感心した。
「これほど美味しいとはな」
「食べに来たことはないのか?」
「こうしてゆっくり食べるのは初めてだ。軽食や一杯だけアルコールを嗜むことはあったが」
「せっかくだから何か飲んだらどうだ」
「いいのか?」
「俺には関係ないことだ」
 ジェイドから向けられた視線に気がついたレトロとクロックも頷く。
「適量であれば私は構いません」
「飲み過ぎて潰れちゃダメだよ」
「そんな無茶な飲み方はしないさ。よし、今日は言葉に甘えて飲むか。お前はまだ成人していないから飲めないな」
「別に興味がないから気にしなくていい」
 言葉通りジェイドは次々と肉を口に放り込んでいく様子を見ながら、オーダーしたグラスワインを口に含む。
 
 ******
 
 酒場を後にし、夜の帳が下りたエルジオンを歩く。漂う冷気は季節の変わり目の証、思わず眉を顰めたジェイドの様子にセティーは気がついてはいたが、言及することはついぞなかった。
 レトロの嬌声、クロックの牽制、ジェイドの無愛想な返答が不規則に入り混じりながら四人は帰路につく。終始会話を聞くのみだったセティーがふと声を上げる。  
「そうだ、答えを聞いていなかった」
「何のことだ?」
「同居生活の感想」
「答えたはずだ。ほぼ留守番生活だったと」
「それは俺が感想を尋ねる前の発言だぞ」
「……良かった。普段なら触れることのない高級なベッドで寝たのは一生覚えているかもしれん」
「大袈裟だな。でも、そこまで言ってもらえると設えた甲斐があった」
 肌触りが恋しくなったらいつでも来るといい、とセティーはジェイドに笑いかける。微かに酔っている自覚はあった。異郷の時から数えると両手からこぼれ落ちるほどであるのに、離れがたく感じる。
 しかしジェイドは足を止めた。問いただすその赤色の眼に、酩酊の熱が音を立てて冷めていくのをセティーは感じる。
「あれ、ジェイドどうしたの?」 
 心配したレトロやクロックが呼び掛けるものの、依然として立ち止まったままだった。
 思案し、セティーはレトロとクロックを先に自宅へ戻るように指示する。繁華街に近いことから普段は夜更けでも賑やかな通りではあるが、今はどこにも人影が見えない。外灯は点滅し徐々に消えるタームが長くなる。不規則に現れる微動だにしない影をセティーは見つめる。
 やがて外灯が数多度の点灯を経てその光を灯すことを止めた。
 
 口火を切ったのはジェイドだった。
「なぜそこまで俺に構うんだ」
 遠くでサイレンが鳴る。しかし震えた声は掻き消されることもなく、暗闇に落ちる。虹彩は果たして揺れているのか否か、眼を凝らしても広がるのは無明ばかり。
「嫌だったか?」
 セティーは突きつけられた剣先を交わし、代わりに試すような問いで返す。目を凝らし、息遣いから在り処を辿り、狙いを窺う。
「別に、そうは言っていない……」
「ならいいだろう」
「何が狙いなんだ、と聞いている」
 想定していた場所とは異なる方向から声がする。退けたはずの刃を再度向けられたのはセティーにとって計算外のことだった。
「……俺の姿がお前の眼にどう映っているのかは預かり知らないが、危惧しているようなものではない、とだけ言っておく」
「簡潔に言え」
 手を上げ、ひっそりとため息を吐く。
「わかったよ。お前を利用しているわけではないってことだ。安心してくれ」
 サイレンは近づきつつある。しかし、外灯は消えたままで未だなお姿を現すことはない。
 帰るぞ、とジェイドがいる辺りに手を伸ばすが、しかし一向に何も掠らない。
「……そんなこと、俺は思っていない」
 一瞬だけ外灯が点滅し、また消える。
「お前もあのひとたらしのアルドと引けを取らないほどお人好しであることはうんざりするほど知っている。だが、同時にお前の行動には何かしらの理由が存在する。家を入れたり、奢ったり、俺にここまでするのかが理解できん」
 今にも消え入りそうな声にセティーは虚を突かれた。苦しみから解放させようとしてきたことのすべてが、新たな苦しみとしてこの目の前の青年を蝕んでいたことに、セティーは愕然とした。知る義務に対する、知らせる誠意の切実性は、知らないことで守られる安寧の必要性を上回り、耐えかね、つい先程まで伝える予定のなかった事実をとうとう明らかにした。 
「……お前の言う通り、理由はある。監視のためだ」
「まさか……。知っていたのか?」
「俺の管轄はエルジオン全域だ。業務遂行の最中に仲間の情報を掴むことだってある。夢意識事件にサキも巻き込まれたことも、IDEAが対処したこともな」
「そこまで知っているのならなぜ監視を続ける。訳のわからない誘いで俺に接近したのは、サキの件が解決したずっと後のことだ」
「……本当に解決していると思うか?」
「何だと?」
「最近、眠れていないだろう。誰が見ても一目瞭然だ」
 けたたましいサイレンの宣告に耳奥がひどく痛み、セティーは思わず蹲る。ジェイドの吐き捨てる声が遠くに聞こえる。
「元から寝つきが悪いだけだ。そこまで調査済みなら、あの忌々しい馬鹿げた実験は対象が女性でないと成功しないことも把握しているんだろう。俺は失敗作だ。不調と実験とは関係がない」
 ありえないと息巻くジェイドに、事態の深刻さを何も感じていないのかとセティーは思わず冷笑を漏らす。
「だといいんだが。人間、己の体調となると途端に楽観的になるものだからな」
「……だったら、仮に俺への実験が成功して、力を制御出来ずに暴走した時に始末しやすいよう俺に近づいたということか」
「そうは言っていない。憶測を結びつけるな」
「それはこっちの台詞だ。……ようやく、合点がいった」
「ジェイド、話を……」
「もういい」 
 照明が復旧する。光の下に、傷ついた青年が見下ろしていた。
「いいか、俺の実験は失敗した。お前の目的には意味がない。もう、こうして会うこともない。所詮、そぐわない夢を見ただけの話だ」
「待て、どこへ行く。家は逆方向だぞ」
「元の住処へ戻るだけだ。俺にはあのオンボロ寮がお似合いだからな」
 世話になった、とジェイドは歩き始める。立ち止まり、しかし振り返らずに呟く。
「万が一、お前の想像が当たるようなことがあれば、その時は俺を殺してくれ。……誰かを傷つける前に」
 サイレンは鳴り止んだ。であるはずなのに、冥漠の中に取り残されたセティーの頭の中で響き続けていた。

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