小休止としての奇妙な儀式
たまにある、奇妙な天気だった。
晴れに似た乳白色の空に雨。滞留する霧。路上に植えられた植物から発する、みずみずしい匂い。花弁、茎、葉から滑り落ちるのと同じように、ジェイドの白髪を滴となった雨が垂れていく。前髪を乱雑にかき上げ、目についた店の軒下に退避する。よく磨き上げられた窓ガラスに映る己の姿に、久しく会っていない恋人を思い浮かべる。
まだ真新しいカードキーを当て、解錠。開いた扉の先には、規則正しさとはかけ離れて置かれた、もう一人の家主の靴。近くに鞄。しかし、物音は何一つない。
不在では無い。リビングの机には置かれた端末や点けっぱなしのテレビが物語る。ソファにあるジェケットの脱ぎ捨てられように、考え始めた労いの言葉の宛先を探していると、浴室側の照明が点いていることに気がつく。
濡れた髪を拭きながら扉の開いた浴室を覗き込めば、そこには赤色のシャツを着たまま湯の張ったバスタブの中で呆けているセティーがいた。唖然とするジェイドに気がついたのか、ゆっくりと視線を向けておかえりと呟いた。
「……なぜ、服を着たまま風呂に入っている」
「脱がなかったからだ」
「見ればわかる」
ため息を吐く代わりに、ジェイドはバスタブに近寄った。よく見れば、シャツだけではなくスラックスも履いたままであることに気づく。もっとも、金属や皮製品であるタイやベルトは外してあるため、一応の危機意識はあると見えた。
「仕事はひと段落したのか?」
ある程度は、とセティーは続きの言葉を紡ぐ。
「とは言いつつも、報告書や今後の対策などやることは山ほどある。そうこうするうちにまた新たな犯罪が生まれて、こう……永遠に回る感じだ。終わりが見えない」
細長い、セティーの人差し指が水面を裂き、輪を作る。
「ウロボロスの蛇みたいだな」
「そんな格好いい類のものではない」
回り続ける指を掴み、ジェイドは自分の顔に引き寄せる。ふやけて皺が深く刻まれたそれは、退浴の知らせでもあった。
「長風呂だ。そろそろ出ろ」
「小規模な馬鹿げたことを実行すると、少しだけ心が安らぐ」
「何を言っている?」
「お誘いだ。くだらないことへの」
セティーは片頬を上げて、自身が背を持たれている方とは逆側を指差す。
「……あとでまとめて洗濯するが、文句は言うなよ」
「俺のはどうせ仕事着だから、多少雑に扱っても構わないさ」
意外と大雑把な性格であるセティーにこの日ばかりは感謝しつつ、ジェイドはTシャツとスラックスは脱ぎ、下着姿となる。そしてセティーと向かい合わせとなるようにバスタブの中へ入る。二人分の重みに押し出された湯が音を立てて溢れ出る。構わず、ジェイドは湯を掬い、額を覆う前髪を再び上げた。
「水も滴るいい男の完成だ」
「茶化すな」
俺よりよっぽどお前のほうが、との続きの言葉はジェイドの中に仕舞われた。その代わり、同じく濡れそぼった金髪に手を伸ばす。電灯に照らされて輝くそれとは対照的に、刻まれた隈や落ちる影、生えかけの薄い髭がその疲労を色濃く伝える。
「……レトロとクロックに心配をかけるなよ」
相棒のポッドたちの名前を出すと、ばつが悪いのかセティーは目を逸らした。
「あいつらにも怒られた。限度を知れと」
「だろうな。二人は今どこへ?」
「映画鑑賞。『バトル・オブ・ミグランス』が好きらしい。今日で三回目だ」
「今度、一緒に観に行ったらどうだ」
そうだな、とセティーは頭を撫でていたジェイドの甲に唇を寄せる。そしてそのまま手を取ったまま水しぶきも引き連れて立ち上がる。遅れて、ジェイドも腰を上げた。纏った衣服は肌に張りつき、身体の線を如実に物語る。返答として皮膚の薄い頬に口づけると、ジェイドは普段より濃くなった赤色のシャツのボタンを一つずつ外し、脱がしていく。棒状に丸めて勢いよく絞り、溢れた水が勢いよくタイルに打ちつける。ある程度絞り、洗濯機へ放り込もうとするジェイドだったが、その前にセティーに振り返る。
「色移りは大丈夫だろうか」
「俺は気にしていない」
「実際は?」
「洗礼を受けたことはある」
その言葉に、別洗い用の籠へ放り込もうか悩んだジェイドだったが、己とセティーが身につけている衣服を見て、結局は洗濯機へ投げ入れた。他が黒とかなら心配ないなとセティーは頷く。
そうして二人残りも脱いで剥き出しとなる。設定を入力し、洗剤を投入するジェイドの肩にセティーが顎を乗せる。しばらくして、静かな笑い声が漏れ出たのをジェイドは耳で捕らえた。何がおかしいのか、と振り向いたジェイドの鼻に、自分の鼻をくっつけた。
「この家にも慣れてきたな、と思って」
「嫌でも慣れる」
言ったすぐそばから己の憎まれ口に顔を顰め、しばらく目を瞑った後にジェイドはうめくように言葉を搾り出した。
「いや、違う。嫌ではない。むしろ、俺も好ましいと思う。……クソッ、何を言っているんだ俺は……」
「お前のそういう誠実なところ、いいと思う」
開きかけたジェイドの唇を、セティーは塞いだ。浴室から脱衣所へ漏れ出る湿気が二人の体温を上げ、絡ませる舌もひどく熱い。そのままもつれ込もうとした途端、ピーと機械音が鳴り、二人は動きを止める。回っていた洗濯機も止まり、合図を待っている。どことなくぎこちなさが残りながらも、二人は顔を離す。どうやら水の投入量が足りなかったらしい。強めにボタンを押して再開し、そして今度はジェイド自らセティーの唇に喰らいつき、再び洗濯機が止まるまで二人はそうしていた。