体温

 うとうととソファでまどろんでいたら、ふいに家の扉が開かれる気配がしたので、おおよそ二ヶ月ぶりの再会だなとジェイドは寝起き特有の回らない頭で考える。
 乱雑に脱いだのか、玄関の方向から靴が転げる音が聞こえる。と思えば、目の前にくたびれた金髪の男ひとりが現れた。相棒のポッド達はどうやらメンテナンスへ行ったらしい。ソファに座ったジェイドの姿を認めるやいなや、気が抜けたのかそのまま隣になだれ込む。珈琲の匂いが微かにした。ただいま、という言葉は聞き逃してしまいそうなほど掠れたものだった。
 ジェイドがスクールを卒業し、ほどなくして成人を迎えた頃に、二人は交際と同棲を始めた。もっとも、仕事や探索で互いに家を不在にすることも多く、一人で暮らしていると錯覚してしまうことも一度や二度ではなかった。であるからこそ、こうしてひさしぶりに会えた時には胸が高鳴り、じりじりと高揚がジェイドの体を覆い尽くす。
 この感情を伝えられるほど、ジェイドはまだ素直にはなれていなかった。その代わりに、おかえりと呟く。どのようなことがあっても、必ず挨拶を交わすのは、二人の間で決められたルールだった。安心したようにセティーは弱々しく微笑む。 
「戻ってきていたんだな」
「三日前ほどだ。一応部屋は掃除してある。もう寝ろ。ここじゃなくてベッドで、だ」
「ああ……」
 しかし今にも眠りへ旅立ちそうな有様だった。肩を揺さぶるが反応は鈍い。よほど疲労が溜まっていたのだろう。力が抜け、床へずるずるとソファからすべり落ちそうなセティーの両脇に手を差し込み、ふたたび横に座らせる。すると薄く開かれた青い眼が近づいてきた。  
 ジェイドも同じ気持ちではあった。
 しかし、最中に寝落ちされることは確実だった。なにより、恋人同士のまぐわいよりも睡眠がセティーにとって今一番必要であるのは間違いなく、ジェイドは迫り来る顔を両手で抑える。塞き止められたセティーはため息を吐いた。
「つれないな、お前は」
「……」
 たちまち気を害したジェイドは、無言でセティーを担いで持ち上げる。動揺するセティーを無視し、寝室へたどり着くやいなや、キングサイズのベッドへ放り投げた。 
 スプリングの反動でセティーの体は勢い良く跳ね、何度かの小規模な弾みが治まった頃を見計らい、ジェイドは上から乱雑に毛布を掛けていく。しかしセティーは毛布を払い除け、抗議した。
「随分と大胆なお誘いじゃないか」
「雑と言いたいならそう言え」
 今更ながらセティーが仕事着に身を包んでいたままであることに気がついたジェイドは、まず白色のジャケットを脱がしにかかる。ラックに吊り下げられていたハンガーにかけ、次はネクタイ、そして真紅のシャツのボタンを外していると腕を掴まれる。
「そういうつもりじゃないんだが」
 今度はジェイドがため息を吐く番だった。
「俺はそういうつもりだ」
「無理をして倒れられても困る」
「……」
「そんな顔をしても無駄だ」
 掴まれていない方の手でセティーの頭を撫でる。さらさらとした金髪が微かに揺れ、辺境の地でそよぐ金色の穂を想い出す。撫でられるうちに気が済んだのか、腕から手が離された。
 ジェイドはすべてのボタンを外し終わるとシャツを脱がせ、中に着ていたアンダーシャツも同様に剥ぎ取った。白く、かつ筋肉で引き締まった細身の体が眼下に現れ、ジェイドの中で一瞬欲がもたげるが、頭を振ることで煩悩を消そうと試みる。
「下も脱がすが、今日は違うからな」
「わかっている……」
 互いの気が変わらないうちに手早く済まそうと、ベルトを抜き、ジッパーを下ろしスラックスを脱がせる。臀部以外剥き出しとなった体の上に再度毛布をかけた。
「下着は脱がしてくれないのか」
「対象外だ。今だけ裸族になるな」
「何だかんだ言ってお前も……」
「はやく寝ろ」
 セティーの顔も毛布で覆い、その場を後にしようとする。
「ジェイド」
 背中に投げられた、微かに甘えた、しかし遠慮混じりの声色にジェイドの動きが止まる。
「……いや、なんでもない。おやすみ」
 しかしセティーは言いかけた言葉を飲み込み、代わりに青の虹彩を瞼の下に閉じた。逡巡したのち、小さく舌打ちをしたジェイドは眠るセティーに近寄った。その薄い、眼の下にうっすらと滲んだ隈を、指の背でそっと撫でる。一呼吸置いて、青の眼差しがジェイドに向けられた。
「……どうかしたのか?」
「セティー。お前に言いたいことは山ほどある。ただ、俺は口が上手くないから半分も伝わってないんだろう」
「何の話だ?」
「もっと壁側へ寄れ」
 意図を探るように見つめていたものの、結局セティーは指示通りに動く。
「邪魔をする」
 空いた隙間にジェイドが入り込んだ。
「今日は違うと言っていたよな」
「勘違いするな。ただ寝るだけだ」
 そう言い捨て、ジェイドはセティーに背中を向ける。
「……抱きしめても?」
「好きにしろ」
 遠慮がちに腕が回される。互いの体温がじわりと交ざり始めた。
「相変わらず体格が良いな。というよりも、日に日に逞ましくなっていないか?」
「柔らかさを求めるなら他をあたれ」
「勝手に拗ねるなよ。安心する」
 セティーは顎をジェイドの肩に置き、首筋に鼻をあてる。
「ちゃんとわかっている。ジェイドが心の優しいやつだってことも、俺のことを心配してくれていることも」
「……わかっているのなら、言うことを素直に聞け」
「はは、たしかに」
 おかしそうに笑う声はそのうち寝息へ変わる。背中越しに伝わる心臓の音にジェイドは安堵のため息を吐く。
「まったく面倒くさいやつだな……」
 おやすみ、とそっと呟き、そのうちジェイドも眠りへと誘われた。 

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