退屈と充足

 複数の人間がぎゅうぎゅうに押し込まれた狭い室内で、矢継ぎ早に言葉の応酬が繰り広げられている。
 自ずと口は開き、欠伸が出る。意識したわけでもなく。どうにも目蓋は重く、意識は散漫し、ソファを今宵の寝床代わりにしてしまいそうなほど、その映画の光景は退屈だった。
 殺人が発生し、集められた容疑者たちがアリバイを証明しようと躍起になっている。鹿撃ち帽を被った探偵役は様子を観察しながら意味深に頷く。その頷きのカットが容疑者たちの掛け合いに差し込まれるが、探偵の頷きが多いせいか、頷きのカットを律儀にすべて切り替えしをしているせいなのか、その都度生まれる微妙な間が映画のテンポを崩しつつあった。と思えば、台詞とは関係のない風景(割れた壺や虫眼鏡)が突如映し出され、何か意味があるのかと訝しむうちに会話のやり取りの場面に戻る。
 ミステリーを選んだはずだったが、コメディドラマだったのか? と隣に座るセティーに視線を向けるも、いつになく真剣な表情で映画に見入っていたのでさらに困惑する。これほどまでに熱心に観ているということは、無意味と思えたシーンも伏線の一つだったのかもしれない。たとえば真の凶器であったとか。恋人に倣い、場面を追うも、しかし依然として退屈で、自分が知らぬうちに眠りに落ちていたことをジェイドが知ったのは、お日様はとっくにペカリの樹の上だよ! とレトロに叩き起こされた翌朝のことであった。

 シータ区画にある映画館へ出向いてもよかったのだが、たまには家でゆっくりするのもいいだろうと、ジェイドは契約中の映画配信サービスを立ち上げる。共同口座から毎月引き落としされているものの、実際はジェイドもセティーも頻繁には利用しておらず、損した分を少しでも取り返そうという気持ちもあった。
 しかし何を観るかが問題だった。ソファの上で足を組みながら、ジェイドはリモコン片手に悩んでいた。
 一人であれば適当に選べるが、二人以上となると相手の好みも考慮に入れる必要がある。お前の好きなやつでいいよとはセティーからリモコンを渡されたが、案外難しい。サジェストされた映画の紹介文に目を通すものの、どれも決め手に欠けていた。
「クロック、おすすめはあるか」
「せっかくですからご自身で選ばれては?」
 悩んだジェイドは助言を求めるも、クロックは横に機体をスイングさせた。仕方なく画面をスクロールしていると、とある映画に目が止まる。鹿撃ち帽を目深に被った人間と、『迷探偵カマスと仕組まれた釣り餌』とのタイトル。
「ミステリー映画のようだな」
「……」
「どうした?」
「いえ、いいと思いますよ」 
 めずらしく歯切れの悪いクロックの物言いに、ジェイドは訝しむも気のせいだろうと思い直した。夕食後の皿洗いを終えたセティーが戻り、ジェイドの隣に座る。
「今回はこれにしようと思うが」
「……いいんじゃないか? うん」
 セティーの表情が一瞬固まる。クロックと同じくどこか歯切れが悪く、自分の選択に不安になるも、「ポチッとな!」とレトロがリモコンの再生ボタンを押し、今夜の映画が始まった。
 そして冒頭に至る。 

 ******
 
 そして別日。
 途中で寝てしまった映画の続きを再開することとなった。
 あきらかに退屈であったが、一緒に続きを観ようとセティーから誘われた手前断るわけにもいかず、もしかすると後半からは盛り返してくるのかもしれない、とジェイドは淡い期待を抱いて画面を見つめるも、結局は眠気が促進されただけだった。
 ふと、セティーの顔を眺める。相変わらず真剣な面持ちだった。絵になるな、と感心していると澄んだ目が鈍く揺れ始めた。
 次第に目は潤み、かと思うと溢れ落ちた涙が一筋となって頬を伝う。涙の筋は指で拭われ、やがて消え去った。そのうつくしさに目を奪われていると、見つめすぎていたのかジェイドの視線に気がついたようで、やわらかく微笑みかけられる。
「もう寝るか?」
「それほどまでに良かったのか、この映画」
「え?」
「感動していたんだろ」
 訝しげに眉を顰めるセティーだったが、ほどなくして合点がいったようでハハハと声を漏らす。
「残念だがちがうんだ。ただ退屈であくびが出るのを噛み殺していただけ」
 途端に気が抜ける。ジェイドはソファに深く沈み込んだ。そうするしかなかった。
「ボクもスリープモード入りそうになっちゃった」
「調べると、星2の評価となっています」
「低評価なら視聴前に言ってくれ」
 両手を顔にあて、恨みごとを吐くジェイドにクロックがフォローを入れる。
「実際にどう思うかどうかは視聴しないかぎりわからないので。コアなファンも一定数存在しているようですし。たとえばクソ映画レビューサイトにおいては、独特なテンポが癖になるとか、名探偵ハウスのパロディ映画として最高峰だとか高評価となっています」
「クソ映画としての評価だろそれは」
 クロックの発言を受けて、セティーが頷く。 
「たしかに所々にオマージュが仕込まれていたな。ほら、割れた壺とか虫眼鏡とか」
「仕込まれているというよりも無理やりカットが突っ込まれているのほうが正しくないか? 今回の内容と全然関係なかっただろ」
「名探偵ハウスのモチーフである、鹿撃ち帽もちゃんと被っている」
「逆に被っていなかったら何のパロディかすらわからん」
「ちなみにこの探偵は頭がカマスの魚人で、推理披露の場面になったらマスクを剥がすのが盛り上がり所なんだ」
「もはや推理内容全然関係なくないか?」
 人間のマスクをまだ被ったままの迷探偵カマスに目を向ける。
「たしかに、ミステリーとしては完全に破綻しているから、ジャンルとしてはコメディに属するが、それも人を選ぶタイプだな。俺好みではない」  
「でも真剣な表情だったぞ」
 自分が想像したよりも拗ねた声色が出て、ジェイドは顔が熱くなる。もちろんセティーは見逃さなかったようで、ますます沈み込むジェイドの頭を撫でる。
「ひさしぶりにお前と一緒にいるのに、すぐ眠ってしまったら意味がないからな。だから退屈に耐えていた」
「そんなに退屈だったら、途中で視聴を止めればよかったんだ」
「恋人に寄りかかられながらくだらない映画を眺めるのも、なかなかに良かったからな」
「……」
 その言葉に、いつものように照れ隠しの悪態を吐きかけたが、すんでのところで額に皺を寄せるに留まった。この男の前だと知らず知らずのうちに子どもっぽくなってしまう。悪態も癇癪も甘えているからこそであり、隣で得意げにしているセティーも当然そのことを知っている。あまつさえ、可愛いとかとんでもないことを思っているにちがいない。ジェイドの眉間の皺はますます深まった。
「このクソ映画、あと何分残っているんだ」
「三十分。もうじき山場だがどうする?」
「頂で眠るだろうな」
 そう言い、頭を撫でる手を避け、かわりに自らセティーの肩に頭を置く。セティーはおやすみとささやいて、ブランケットを互いの肩に掛け直した。
「マスクビリビリが一番面白いのにもったいなーい」
「ポンコツ、静粛に。真犯人が誰かわからなくなります」
「クロックは意外と真剣に観ていたんだな……」
 三人の会話が遠く聞こえる。迷探偵カマスの推理演説がいよいよ始まるところだった。しかし真犯人は一体誰なのか知らないまま、迷探偵の真の顔を知ることがないまま、あたたかいまどろみの中でジェイドは意識を手放した。    

close
横書き 縦書き